関連用語集
終末期
(1) 終末期とは
医師によって不治の病であると診断をくだされ、それから先数週間ないし数カ月(およそ6ヶ月以内)のうちに死亡するだろうと予期される状態になった時期をいいます。
(2)終末期医療とターミナルケアの違い
終末期の定義からもこの時期に医療という言葉は適当ではありません。対応はキュアからケアにかわるべきです。
本来であれば『終末期ケア』『ターミナルケア』というべきところなのでしょうが、『終末期医療』と言われることがまだ多いようです。
(3)終末期 前期・中期・後期とは
●前期とは 余命6ヶ月~数カ月と考えられる時期をいいます
(推定は困難な時期が多いです)
●中期とは あと数週間と考えられる時期をいいます
●後期とは あと数日と考えられる時期をいいます
●そのあとは、死亡直前期といいます
「老人診療マニュアル」日本医師会から抜粋
(4)終末期前期ケアと家族への対応
●患者に対するケア
痛みその他の症状のコントロール、精神的に支える、身辺整理への配慮、緩和治療(輸液、輸血、放射線治療など)をします。
●家族に対するケア
病名告知に関する悩みへのケア、老人や子供への病名告知死の受容への援助します。
(5)終末期中期ケアと家族への対応
●患者に対するケア
高カロリー輸液の中止、輸液の減量、日常生活への援助、宗教的配慮をします。
●家族に対するケア
やがて死を迎えることを予期して悲嘆への配慮。できるだけ長生きして欲しいが苦しめたくない、という気持ちの葛藤への配慮などをします。
(6)終末期後期ケアと家族への対応
●患者に対するケア
輸液中止の考慮、混乱への対応、楽な体位となる工夫をする、耐え難い苦痛から解放するための鎮静の考慮をします。
●家族に対するケア
看病疲れへの配慮、蘇生を行うかなどご意向を再確認します。
(7)死亡直前期のケアと家族への対応
●患者に対するケア
最後まで人格をもった人として接する、死前喘鳴(気道内の分泌物によりゴロゴロという音が出る状態)への対応、手を握る、髪をなでるなどの非言語的コミニケーションをはかります。
●家族に対するケア
死亡直前の症状の説明(苦しそうでも患者は苦しくない事の説明・これはもう少し前から終末後期からしておくほうがよい)家族にできること(優しく呼びかける、手足をなでる)を伝えます。聴覚は最後まで残るので、呼びかけてあげることをすすめします。
延命治療
(1)医療中止の要請をする事はできますか?
「終末期宣言書」「尊厳死の宣言書」「リヴィング・ウイル」では、終末の状態と判断されたときは延命の措置を一切お断りします、と意思表示できるようになっています。本人の意思表示がはっきりとしている場合、医師はそれに従ってよいという法律がアメリカでは各州(自然死法)にあり連邦政府でも自己決定権法で定めています。日本にはそのような法律はまだないため、本人の意思を示しても拒否する病院や医師もいます。ただし、東海大学安楽死事件の横浜地裁の判決文の中でも通常の医療行為上の判断として条件が整えば認められる、と判断しています。
(2)高カロリー輸液の意味は?
回復期の患者で経口的に食物を与えられない場合は、高カロリーの輸液を投与することに意味はありますが、終末期で回復不可能と考えられる場合は、患者さんに負担を与えることも多く胸水や腹水をコントロールできない原因にもなります。時期によっては高カロリー輸液を中止または減量することも検討するとよいでしょう。
(3)点滴は最後まで必要か?
生命予後が数日と考えられる場合、減量または中止する方が苦痛無く看取れる場合が多いと感じています。
(4)蘇生術とは?
心臓マッサージ(胸部圧迫)、人工呼吸、電気ショックを行うことをいいます。
終末期宣言書とリビングウィルの違い
日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」
1、延命の措置は断る
2、苦痛を取る処置はできるだけして欲しい
とだけ書いてある文書で、それに賛成する人が署名捺印します。告知、終の場所、臓器の提供代理人の指名などの具体的事項が含まれていません。それぞれについても望むか望まないかをハッキリ選択するようになっていないことも「終末期宣言書」と違うところです。
米国の「アドバンス・ディレクティブ」
(事前の医師への指示書)
1、延命治療について選択としての意志表示
2、意識がなくなった後の代理人の指名(州によっては臓器の提供や献体についての意志表示をするようになっているところもあります)
これに対して「終末期宣言書」は これら尊厳死の宣言書やアドバンス・ディレクティブにくわえて、病名の告知や 終の場所(在宅死か病院死か)まで具体的に言及しています。私達の目的は、特に在宅死の問題についていえば、家族や住宅、街の医療・福祉の体制と密接に関係しますから、医者と患者の関係で「どう死ぬか」といった問題だけではなく、「家で死にたい」と思えばそうできるような街に"変えていくこと"にあります。そして、そのような前向きな市民としての生き方を自分に問い直すことができるものであると思っています。
つまり、「終末期宣言書」は、 個人として(一人称)家族として(二人称)市民として(三人称)どう生き、どう死ぬかを問う「意志表示の宣言書」なのです。
なお、詳しくは関連用語集の項目「リビングウィル」「尊厳死の宣言書」「アドバンス・ディレクティブ」「レッツ・ミィ・ディサイド」「自然死」「医療の中止」「間接的安楽死」「積極的安楽死」「慈悲殺」等覗いてみてください。
苦痛の除去
(1)WHO方式がん疼痛治療法(三段階除苦痛)
第段階 非オピオイド鎮痛薬
▼ ±鎮痛補助薬
痛みの残存、増強
▼ ±鎮痛補助薬
第2段階 .弱オピオイド鎮痛薬+非オピオイド鎮痛薬
▼ ±鎮痛補助薬
痛みの残存、増強
▼ ±鎮痛補助薬
第3段階 強オピオイド鎮痛薬+非オピオイド鎮痛薬
(±は適応のあるときに併用する薬を示す)
(2)鎮痛補助薬
向精神病薬 抗けいれん薬 抗不安薬 抗うつ薬 ステロイドなど
(3)セデーション(鎮静)
麻薬等を使っても鎮痛効果を得られない場合が10%程度あると言われています。その時家族と医療ケアチームが十分話し合いを行い、麻酔薬を使用して患者の耐え難い苦しみを取る方法をセデーションといいます。間欠的鎮静と持続的鎮静がありますが、重要なことは鎮静そのものは寿命には影響がないということです。
植物状態
(1)植物状態とは
生命の中枢である脳幹は健全な状態でも、それ以外の脳機能のほとんどが働かなくなっているかあるいは死滅している状態をいいます。栄養を与えれば消化、吸収、排泄は無意識に行えるため、その他の動物的機能は消失しており植物と同様だというところから植物状態と呼ばれています。
(2)治ることはないのですか
ないとはいえません。意識その他の機能の回復は期待できないと言われていますが、まれに何年かたって突然意識が戻る場合もあります。
(3)植物状態の種類
脳幹以外の大脳がすべて死滅または機能を失っている場合と、若干その機能が残っている場合があります。アメリカの有名なカレン・アン・クラインさんは人工呼吸器ををつけていましたが、ナンシー・クルーザンさんは自発呼吸をしていました。二人とも、栄養は管で与えられていました。食べ物を口に入れると飲み込む反射機能が残っている場合もあります。
(4)本人の意思表示(アドバンスト・ディレクティブ)と植物状態
植物状態になれば本人が意思表示することはできません。 アメリカでは、1976年のカレンさん、1976年のカリフォルニア州のナンシーさんの場合、親が訴えを起こして勝訴し願いを叶えました。 これらの事件をきっかけに、全米各地で生命倫理論争が起きました。 健全な時に、自分の意思を表示しておく事は大切です。しかし、現実に管をいれられ植物状態になっている場合、本人の意思が分かっていても、管を取ることは家族として出来ないという問題もあります
脳死
(1)脳死とは
ヒトの脳幹を含めた脳すべての機能が不可逆的に回復不可能な段階まで低下して回復不能と認められた状態のことです。脳幹は生命の中枢です。そこが機能しなくなると通常は呼吸が止まって死に至ります。
(2)脳死と人工呼吸器の関係は
1950年頃、人工呼吸器ができてから強制的に呼吸をさせることができるようになり、酸素が送られるとある程度心臓筋肉は自動機能をもっているので何日か拍動を続けられるようになりました。そこで脳が死んでいるのに呼吸と心臓拍動が続く状態がでてきました。
(3)臓器移植法
1997年10月16日「臓器移植法」が施行されたことにより、脳死後の臓器提供が可能になりました。この法律は、脳死後の臓器提供には、本人の書面による意思表示と家族の承諾を必要とする厳格なルールでした。また、この意思表示は民法上の遺言可能年齢に準じて15歳以上を有効としていたため、15歳未満の脳死後の臓器提供はできませんでした。
2010年7月17日「改正臓器移植法」が全面施行され、本人の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば脳死後の臓器提供ができることとなりました。
このことにより、15歳未満であっても脳死後の臓器提供が可能となり、小さなからだの子どもたちの心臓や肺の移植の道が開かれました。
また、死後に臓器を提供する意思に併せて親族に優先的に提供できる意思を書面により表示できるとした「親族優先提供」も2010年1月17日に施行されています。
(7)自己決定権の尊重
本人医意志の最大限尊重は、最終的な自己決定権として尊重されなければなりません。「私は臓器の提供を拒否します」という意志表示をしておけば、それを法律は否定することができません。
告知
病名または病状を本人または家族に知らせることを言いいます。
アメリカでは、1967年にがんについて「告知すべきだ」という医師は9%でしたが、1974年には98%になっていました。 日本も、癌告知については1990年はまだ15%でしたが遅ればせながら2016年には94%になっています。
アメリカでは、1960年から70年にかけて各種の人権運動が燃え上がり、そのなかで医療訴訟も激増、本人に正確な病名を告知していないと訴えられ、その場合医療者が負けるという状況になったことが告知率の上昇に繋がったと考えられます。
終いの場所
(1)在宅死と病院死の割合
100年前はほとんどの人が家で死んでいました。第二次世界大戦が終わった頃もまだ80%が在宅死でした。その後次第に病院で亡くなる方が増え、1997年その数は逆転し約80%が病院死となりました。2005年頃から病院での死亡が少し減りその分、老人ホームなどの施設での死亡が増えてきています。在宅死は相変わらず平均12〜13%を推移しています。
(2)病院で死ぬということ
病院で死ぬというと、体のあちこちから管を入れられて(スパゲティー症候群)あんな死に方は絶対したくない、またさせたくない、そんなイメージで受けとめられています。そうでなくても、患者さんは、病院や医師の管理下にあって本人や家族には自由やプライバシーがほとんどといっていいほどありません。 そのような状態に対する病院不信と、病院にいけば安心するという病院信仰が裏腹になって病院死が多いのが現状です。(名誉会長)
現在はその状態が少しづつ変わってきており、特に終末期における対応は患者側の意思を尊重し、プライベーな時間や空間を確保する努力をしている病院も出てきています。
(3)自宅で死にたいと望む人は減ったのですか
1980年の総理府の調査では95%の高齢者が「家で死にたい」と答えていました。 その後次第に数は減り、1995年の総務庁の調査では45%になってしまいました。そして、現在は約70%の方が終末期の療養場所として自宅を希望されています。
(4)なぜ減ったのか
「家で死にたい」と望む高齢者が減ったのではなく、 「家で死にたい」といえなくなったのが実状でしょう。家族がいない、家族に大きな負担をかける、いざという時の対応が不安、経済的負担が大きいなど、様々な理由から ついの場所を自宅と希望する人が減少していると考えられます。
(5)家で死ぬための条件
1.自分の意志を明確にして、周囲に知らせます。
2.家族や地域の人たちが本人の意思を理解し尊重する力を持ちます。
3.周囲がそのような気持ちがもてるような医療・福祉・保健の体制を整えます。
4.医師.・看護師だけでなくホームヘルパーなどのコメディカルの方達との連携を整えていくことが大事です。
(6)なぜ、家で死ぬのがよいのですか
1.本人が主人公で、自由とプライバシーを持って生を全うできます。
2.看取った家族に心残りが少ない。
3.社会的な経済効率が良くなります。(福祉の仕事の増加が雇用を推進する)
4.介護や死を通して、ふれあう人達が成長します。
(7)介護や死を通して成長するとはどういうことか
具体例を一つ挙げて説明します。
K市のF・Tさんは祖母を病院で看取り、あのような看取りは絶対にいやだと考えていました。 そして、母親の場合は自宅で看取ることを決心しました。 本人の意思がわからず困っていたとき、「T子、ありがとう。私はあなたに看取ってもらってこの家で死ねれば本望よ」と逆に本人から打ち明けられ、方針を決め覚悟を決めることができました。
以下は、母のおむつを換えているときのT子さんと息子の会話です。
「年をとった人のうんちはくさいわねー。だけど赤ちゃんのうんちはくさくないのよ。あんたのおむつも2年ほど換えたんだよ」
「ふぅん、母さんが赤ちゃんの時はおむつ誰が換えたの?」
「それはこのおばあちゃんよ」
「じゃあ、おばあちゃんのおむつ、2年は母さんがおむつ換えてあげてもおあいこだね」
その時Tさんは、ハッとしました。こういう考え方もあるのかと気がついたのです。そして、おばあちゃんの最後には、 Tさんの息子が泣きながら死化粧をしたそうです。看取られる本人や世話をする家族には、それぞれに、その過程や終局の場面で 心の成長がみとめられます。残されたものは、「ひとりの死」を通して、たくさんの「生」を学ぶのです。そして、こうした事例は在宅の看取りの中ではごくごく普通に見られることなのです。
ホスピス
(1)ホスピスの語源は?
ラテン語のホスト(主人)とゲスト(客)の組み合わせで、客を暖かくもてなすことを意味しています。
(2)ホスピスの歴史
インド、ギリシャ、ローマなどホスピスと言っていい施設や対応が見られますが、中世初期、キリスト教の聖地巡礼に伴う宿泊施設(多くは修道院の一角)が、旅人にホスピス的な対応をしていました。11~13世紀の十字軍の遠征がそのようなホスピス活動に拍車をかけました。しかし、14~16世紀の宗教改革以後、多くの修道院は社会に対して門を閉ざしました。
(3)歴史年表
欧米のホスピスの歴史12世紀 | 1.ホテル・デュー(神の宿)フランスのリヨン
1534年 | 2.救貧院500のベッドに2000人の患者(ナイチンゲールの覚書一つのベッドに8人が寝かされていた。
1788~1799年 | フランス革命(人権の戦い、患者の人権を鋭く指摘、変革)
1802年 | 1と2をひとつにしてH・C・L(リヨンの市民ホスピス→一大医療都市)
1812~1815年 | ヨーク(イギリス)の女子修道院でエイケンヘッド
1834年 | セント・ビンセント病院建築(死にゆく人々のためのホスピスの原型)
1835年 | セント・ジョゼフ病棟改正(運営のため3人の修道女フランスへ派遣
1838年 | そのうち二人がオーストラリアへ渡る6人の修道女の中核
1860~1870年 | アメリカ南北戦争
1879年 | 聖母ホスピス創立
1884年 | セント・ビンセント病院の中に聖心ホスピス(シドニー)
1906年 | セント・ジョゼフホスピス創立
1912年 | アイルランド独立戦争、1916年共和国独立宣言
1945年 | 第2次世界戦争植民地の独立
1955年 | セント・ジョゼフホスピスをシシリー・ソンダース見学
1958年 | セント・ジョゼフホスピスにシシリー・ソンダース勤務し、疼痛除去のモルヒネ使用法を研究
1967年 | セント・ジョゼフホスピスの修道女たちの協力を得てセント・クリストファーズ・ホスピス創立
(4)近代ホスピスは誰が?いつ?
アイルランドのメアリー・エイケンヘッドが近代ホスピスの母といわれています。イングランドの600年の植民地支配の中での、貧しい飢えた人々への愛の運動が多くの修道女を育て、エイケンヘッドは1858年に死にますが、育てられたシスターたちが1879年にダブリンに聖母ホスピスを作りました。これが近代ホスピスの初めといわれています。彼女たちはロンドンのセントジョゼフホスピスをはじめオーストラリアやスコットランドに次々にホスピスを設立し、母であるエイケンヘッドの肖像画を掲げました。
(5)現代ホスピスは?
シシリー・ソンダースがセント・クリストファーズ・ホスピスを1967年に創立したのが現代ホスピスの初めといわれています。シシリー・ソンダースは、セントジョゼフホスピスでがんの末期の疼痛をモルヒネで除去する方法を研究開発して、その成果を現代ホスピス第1号のセント・クリストファーズ・ホスピスで実践しました。
(6)アメリカホスピス協会の定義
全米ホスピス協会の定義は「ホスピスは死にゆく人と家族に対して、身体的、精神的、社会的、霊的ケアを、在宅と入院の両方の場面で提供する、緩和サービスと支援サービスの調和がとれたプログラムである。種々の専門家とボランティアが、他職種の医療チームを構成してサービスにあたる。患者の死後、遺族に対して死別後の援助を行う」となっています。
(7)アメリカのホスピスの現状は?
アメリカのホスピスは1974年のニューヘブン・ホスピスが第1号ですが、それから10年後には1429のホスピスができていました。
1987年の内訳は
在宅ケア454(30.6%)
入院ケア39(2.6%)
在宅と入院ケア865(58.3%)
不明125(8.4%)
主流は在宅ホスピスで、施設はなく事務所だけがあり、看護婦、ヘルパー、ボランティアなどがチームを組んで在宅ホスピスケアを行っています。
(8)日本のホスピスの現状は?
日本のホスピス第1号は1981年の聖隷三方原病院の院内病棟ですが、それから10年後のホスピス数は20でした。40年たち、現在約430箇所のホスピス(緩和ケア病棟)ができています。
日本ホスピス・在宅ケア研究会、在宅ホスピス協会など様々な動きもでてきています。
(9)緩和ケア病棟とホスピスはどう違うのですか?
ホスピスの理念やプログラムの実践には高い経費はかかりませんが、ホスピスケアをする施設の建設や運営の人件費は高額になります。それを現在の医療保険制度である程度保証しようとすると診療報酬の中に組み込まなければなりません。そこへホスピスという言葉は取り込みづらいので厚生省は「緩和ケア病棟入院料」という名称にして入院料を支払うことにしました。大病院、大学付属病院などでホスピスケアを実施する場合も「ホスピス」より「緩和ケア」という言葉を使うことが多いようです。めざすところは同じなのです。
(10)人権運動としてのホスピス
近代ホスピスの母、メアリー・エイケンヘッドはアイルランドの生まれでした。 アイルランドはイングランドの600年の植民地支配野本で人権無視に耐えてきました。その歴史を背景にしてエイケンヘッドとその娘(シスター)たちが最初のホスピスをつくります。また長く人権を無視された精神障害者の歴史もあります。
セントエリザベス病院(アメリカ)は80万坪、入院3500人、職員7000人で病院内にパン工場も火葬場もあるという精神障害者の病院ですが、1970年に全入院患者の2/3は入院の必要のない患者であるという内部告発があり、1979年にホスピス部門が出来患者の権利擁護官が配置されました。
(11)日本のホスピスの将来像は
厚生省が「緩和ケア病棟」として承認する施設ホスピスは徐々に増えるでしょうが町々で必要な人が望むときにホスピスケアを受けられるようにするためには、在宅ホスピスが広まらなければなりません。。『ホスピス・緩和ケア白書』(ターミナルケア別冊、三輪書店)に記載されているような診療所が雨後の竹の子のように出来ていくように心有る医師と主体的市民が手を結んでいく必要があります。(名誉会長)
現在は在宅緩和ケアを行うクリニックもだいぶ増えました。細かな問題がないわけではありませんが、在宅でも穏やかにホスピスケアを受けられる時代になってきたことは超高齢社会・多死時代において心強い一面であると思われます。
安楽死・尊厳死
(1)安楽死は3つに分類される
安楽死は大別すると2つに分類されます。
1.消極的安楽死
無意味な延命治療をしないで自然な死を迎えるように支援する。無意味な医療の中止、自然死。間接的安楽死、苦痛除去のためにした医療行為が結果として命を縮めた場合を言います。
消極的安楽死は「治療行為の中止としてその許容性を考えれば、足りる」(東海大事件判決文)ものであり特に安楽死という言葉を使う必要はないという意見もありますが、わかりやすい言葉なのでこれからも使われるでしょう。自然死、または尊厳死と同義語または間接的安楽死を含める言葉として使われます。
2.間接的安楽死
3.積極的安楽死
本人の自発的意志を前提として一定の条件を満たした場合、医師が自殺幇助の行為を行うことです。
(2)安楽死否定論の根拠
安楽死には自殺幇助の意味が含まれているとして、安楽死すべてを否定する考えがあります。消極的安楽死は通常の医療行為の範囲内で考えられることで、安楽死という用語を使う必要はなく、積極的に医師が自殺幇助の行為をすることはいかなる条件があっても反対するというものです。
(3)安楽死肯定論の根拠
安楽死はギリシャ時代から使われた言葉で「オイタナジー」が語源でオイは良い、タナトスは死という意味です。決して、安らかな楽な 死を否定するものではありません。近代、言葉自体が歪められて伝えられた歴史があるので、否定的な見方をする人が多いようですが、本人の意思を前提にして考えれば、ケースによっては積極的に自殺の意志を支援することが検討されても良いという意見です。
(4)安楽死の歪められた歴史とは?
産業社会では効率が社会の価値の基本とされ、無用の者、役に立たぬ者に社会が手をかける必要がないという考えが広まりました。当時の風潮は、アレキシス・カレル(ノーベル医学賞受賞)の著作「人間この未知なるもの」(当時、ヒューマニズムの手本と呼ばれていたそうです)に書かれています。曰く「不幸な者、利己主義者、愚鈍な者、役に立たぬ者の寿命をなぜ延ばすのか」。信じられない話ですが事実です。また、この思想がナチスドイツのアウシュビッツにつながっていくのです。
(5)ナチスの国家的安楽死、遺伝学的安楽死?
ヒットラーは、1939年9月1日宣戦布告の日にユダヤ人を遺伝学的に無価値・有害と決めつけ、政令<慈悲による死>に署名し制定、約数十万のユダヤ人をガス室で虐殺しました。アウシュビッツの大義名分に使われた言葉が<慈悲による死>=「安楽死」なのです。安楽死という言葉はナチスドイツによって、本来の意味を歪められました。戦後のニュルンベルグ国際軍事法廷で、戦犯はあくまでユダヤ人の自殺を主張したが、虐殺事件として処罰判決が出されました。
(6)尊厳死とは?
本来は、ある種の生き方を否定し尊厳ある死を選んでの自殺も含めて尊厳死という言葉は使われてきました。特攻隊に志願しての死や、自分を犠牲にして他人の命を助けた死、子供たちとともにガス室にはいったコルチャック先生の死。これらは尊厳死と呼べないでしょうか。(名誉会長)
(7)日本でいう「尊厳死」の意味
日本では日本尊厳死協会が消極的安楽死を「尊厳死」と言い、尊厳死の宣言書を普及している関係もあって、尊厳死と言えば消極的安楽死という意味でマスコミも使っています。
しかし、アメリカでは消極的安楽死は「自然死」といい、各州に「安楽死法」ができて認めています。アメリカでは「尊厳死」という言葉は「積極的安楽死」または「医師による自殺幇助」という意味内容で使っています。
(8)欧米での安楽死論議
安楽死は違憲か(アメリカの場合)
オレゴン州尊厳死法は違憲と判決されましたが、ワシントン州では自殺幇助禁止法は違憲という訴えに関して連邦控訴裁判所は1996年3月、自殺幇助禁止法は憲法違反ではないとの判決をくだしました。ニューヨーク州の自殺幇助禁止法は憲法違反ではないかという訴えには、1996年4月憲法違反であるという判決がくだりました。いずれも最高裁に上訴されていますが、その決定はなされていません。
アメリカの安楽死法制化運動
ワシントン州での住民投票 1991年11月 賛成46%
カリフォルニア州での住民投票 1992年11月 賛成47%
オレゴン州での住民投票 1994年11月 賛成52%
賛成が多数の場合、制定が予定されていた法律は「00州尊厳死法」でしたが反対派が憲法違反の疑いがあると訴えて連邦控訴裁判所で「違憲」と判決され法制化は葬られました。ワシントン州とカリフォルニア州は積極的安楽死でオレゴン州は自殺幇助と内容が異なっています。
(9)オレゴン州の「尊厳死法」
1994年住民投票で賛成52%で「オレゴン州尊厳死」は成立した。が反対派が違憲の疑いがあると訴え、法制可手続きを裁判所が差し止めた。
1997年再度住民投票が行われ、60%の賛成で正式に制定されました。その間に控訴裁でも最高裁でも、「差し止め命令」の撤回を指示していた。
内容は本人の自発的意思表示を前提に、一定の条件を満たした場合、医師は
①口頭の要請があってから15日、書面で要請してから48時間後に処方箋を出す。
②その間誰も患者に暗示、説得、教唆、強制あるいは影響を与えてはならない。
③服用するかどうかは患者が決める。
④患者が服用する場合は医師や家族がその場にいることは許されている。
10. オランダの安楽死法
安楽死先進国と言われるオランダでは年間2~3000の安楽死が行われている。法的には埋葬法で、一定の条件を満たしていると医師が届け出れば書類送検はされるが起訴されないということであった。
それでは容疑者に医師はなるので法的に安楽死を認める合法化の法案が1999年7月議会に提案され、2000年暮れ下院を通過、2001年4月10日上院でも可決した。2001年秋にも発効の予定。
11.オランダの安楽死法の対象
①本人の自発的で真摯な継続した意思。
②耐え難い苦痛(神経的苦痛を含む)
③治癒の見込みがない
④医師が第三者の医師と相談
⑤医師が事後届け出る
という条件を満たす場合、医師は刑法上免責される。
なお、同法は12歳以上の未成年にも安楽死権を与えた上、患者が判断力のある間に残した事前の安楽死希望に法的効力を認めている(アルツハイマー)点で世界に類がない。
12.オーストラリア北部準州の「安楽死法」
世界で最初の積極的安楽死を認めた「終末期患者の権利法」が1995年に制定され、96年7月に施行され、4件の安楽死が報ぜられたが、97年3月にその公安を無効。
オーストラリア準州(北部特別地域)で安楽死を容認する法律が世界ではじめて施行された。
自然死・老衰死
(1)自然死とは
日本において、回復が不可能と判断され本人の意思表示が明確な場合に延命のための医療行為を中止しても今までのところ違法と判断されたことはありません。ただ、公に認めるということにもなっていません。アメリカではこのような場合、自然な死を迎えさせる通常の医療判断範囲であると定めた法律が1977年カリフォルニア州で成立しています。それは「自然死法」と名付けられました。そして、この法律は各州にも次第に広がっていきました。 日本でいう「尊厳死」はこのアメリカでいう「自然死」と基本的に同じ内容といえます。
(2)老衰死
死因と推定できる病気が無く、老衰によって自然に生を閉じた時は老衰死といいます。今の日本ではこの老衰死を自然死と捉えられています。2018年の死因は「脳血管疾患」を抜いて「老衰死」が第3位(8%)になりました。
天寿・寿命
その人に予め定められた寿命があるものとして、それを天寿または寿命といいます。 人それぞれのものであって分からないが、DNAをすべて読めるようになれば、 受精した瞬間に、この命は途中の事故がなければ、何歳ごろ、どこのがんで亡く なることが分かるという遺伝学者もいますが、それが分かるようになることは、人 間にとって幸福なこととは思えません。 85歳くらいまで生きれば、本人も、残された家族も「歳に不足はない、天寿を全 うした」と考えるのが普通ではないでしょうか。 現在平均寿命が女性では83歳、男性では77歳になっています。平均寿命はその年に生まれた子どもが平均して生きる寿命をいうので、すでに50歳、60歳になっている成人の平均予命は平均寿命プラス何年かになり、85歳まで生きること、すなわ ち天寿を全うすることは、難しいことではない状況になっていると考えてよいでしょう。
人類の終末期
命ある者は必ず死にます。それは生物の種についても言えることで、20万年前に生 まれたホモ・サピエンスの亜種であるホモ・サピエンス・サピエンスもいずれ終末を迎えることは間違いありません。 人類の数が30億であれば1000年持つが、100億を超えれば100年持たないと地球惑星物理学の松井氏は言っています。その100億には2050年頃にはなりそうだ、というのが現在の人口予測です。人口爆発による食糧問題、エネルギー問題が今世紀初頭から半ばにかけて危機状態になると思われる。核融合に成功してエネルギー問題を乗り越えることができたとしても、環境破壊と核戦争、人類を破滅に追いやる問題は山積しています。百年のものは千年に、千年のものなら1万年に、ゆるやかな自然死を人類が迎えることができるように、いま全知全能をあげるべき時です。 人は個人として必ず終末を迎えるように、種として人類もいずれは終末を迎えます。人科のホモとなずけられる生物の一種が、地球上に姿を現すのは、約200万年前ですが、ホモ・サピエンスは20万年前、その亜種であるホモ・サピエンス・サピエンス は10万年前に生まれました。現在地上に存在する人類はすべてこの種に属しています。太陽は50億年後に死ぬと予測されていますので、すべての生物がいずれ終末を迎えるのは間違いありませんが、人の終末はそう遠くはないと考えられます。
QOL(クォリティ・オブ・ライフ)と
QOD(クォリティ・オブ・デス)
(1)QOL
自分の生存状況についての、満足、生きがいなどの意識を含む全般的主観的幸福度。 満足は幸福を構成する主要因であるが、主として現在から過去の達成を評価し、生きがいは現在から未来への達成を評価しています。そして幸福は漠然と両者をふくみます。(終末期医療、大井玄、弘文堂から抜粋)
(2)QOD
直訳すると死の質。まさにどこでどのような最期を迎えることが自分にとって満足のいく死に方なのか?その質を問う時代になりました。自分で考え、それを意思表示しておくことの大切さを現場で関わる医師も含めコメディカルの方々も感じています。
自己決定権とインフォームドコンセント
自己決定権
憲法13条に定めた基本的人権の重要な一つとして、比較的新しく重視されるようになりました。受ける医療についての「自己決定権」は、1947年「ニュウルンベルグ綱領1973年アメリカ病院協会の「患者の権利章典1983年「インフォームド・コンセントに関する米大統領委員会報告」1990年アメリカ連邦政府の「自己決定権法」の制定と続いて、世界的に承認されてきました。
インフォームド・コンセント
医師が医療を行うにあたって、最終的には患者に「自己決定権」があることを認めて、誠意のある十分に理解できる説明をして、患者の自由な意志に基づいて診察、検査、投薬、手術その他の医療行為を、受けるか受けないかを選択し、同意を得ることをいいます。自己決定権と並行して、世界的に認められ、日本医師会もその生命倫理委員会の報告として「説明と同意」を出して、重要性を1990年に認めました。
高齢社会・超高齢社会
65歳以上の高齢者の全人口に占める比率が7~14未満の社会を、高齢化社会と言います。14~21%未満の社会を「高齢社会」、21%以上の社会を,「超高齢社会」と言います。日本は世界でもっとも早いスピードで、最も早い時期に超高齢社会を迎え平成29年度統計では27.7%を示しています。